南方熊楠ってどんな人?何をした人なのか
和歌山生まれの天才、南方熊楠をご存知ですか?19歳から約14年間、アメリカ、イギリスと若いうちから海外を渡り歩いて「知の巨人」と呼ばれるほど研究に人生をかけた日本人です。さまざまな言語の文献を使いこなして国内外問わずさまざまな論文を発表したと言います。変わり者扱いされてきた南方熊楠ですが、興味深い彼自身の生き方や言動、残した言葉たちは私たちの生活に何かきっかけを与えてくれるかもしれません。今回はそんな南方熊楠にピックアップして記事を書きたいと思います。
南方熊楠 和歌山県生まれの天才

参照 Wikipedia
南方熊楠は博物学者とされていますが、生物学や民俗学まで多様にいくつもの顔を持っていました。
それは興味を持った物に関するあらゆる分野まで徹底的に調べる南方の性格が影響しています。
海外渡航経験から、語学も堪能で、英語はもちろん、フランス語やドイツ語、ラテン語なども専門書を読み込めるほど理解していることから知の巨人の異名がついたと言えますね。
性格

参照 https://book.asahi.com
常人離れした天才的な面があった南方ですが、気性は荒く癇癪持ちで、学問に打ち込むのは熱中することで気性の荒さを落ち着かせるためだと言われています。
自然界に対して強い興味を持ち、学生時代は授業そっちのけで植物観察などに夢中になっており、大量の本を読んでいました。
また、興味のない科目には全く目を向けず、散漫な態度だったためよく教師に叱られていたというエピソードもあります。
功績
南方は、花を咲かせない隠花植物の研究に生涯を注ぎました。
特にキノコや粘菌、藻類を主に研究し、
採集に明け暮れ、30年にもわたって研究に没頭した結果、南方は3500枚もの菌類図譜を残しました。
粘菌の標本は約7000点現存しており、生物学研究者であった昭和天皇へご進講という栄誉に結び付いていきます。
またイギリスで創刊された世界で最も権威があるとされる「ネイチャー」誌
「東洋の星座」という初めての論文が1893年に「ネイチャー」で掲載された南方は、一気にロンドンの学術界で有名になりました。
その後も世界中で採集した菌類や民俗学・人類学などに関する論文を発表し続け、掲載された論文は51本に及びました。
これは単独の研究者としては歴代最高記録であり、いまだにこの記録を破る人は現れていません。
南方熊楠のことがよくわかる本

参照 Amazon
「南方民俗学」
南方熊楠の傑作と言われる論文「燕石考」などをまとめた論文集です。
ライバルであった柳田国男への書簡をメインに、構造人類学の方法と思想を先取りした彼の考えを知ることができます。
まとめ
いかがでしたでしょうか? 和歌山県が生んだ天才南方熊楠について、彼の興味のあることにとことん突き詰める性格や生い立ち、生涯に触れることでよりどんなことをした人なのかいまだに解明されていないことも多くありますが現代の日本人にとって影響を与えた人物であることには間違いありません。